この世は信じた通りに形作られる理論


この世の中の真理は、誰が発見しようが、しまいが、

その通りに存在をしていて不変である。

 

鬼のように当たり前のことだと思います。

 

例えば車が発明されたのは最近のことですが

恐竜が生きていた時代に車が作れなかったかというと、そうではありません。

車に必要な材料は全て地球に揃っていたのです。

ただそのやり方を発見できていなかっただけなのです。

 

恐竜時代でも原油はあったであろうし

鉄鉱石もあったであろうし

それらの原材料を精製する術と

ガソリンが爆発した力を利用してどうちゃらこうちゃらの

熱力学かなんやら分かりませんが、

そういうことが分かっていれば、恐竜時代であっても作れたはずです。

 

つまり何億年前だろうが、車が作れる真理は存在していたのです。

真理は既にあり、あとは「発見」するかどうか、というのが世の中なのです。

 

逆に、今は空飛ぶ絨毯は存在していませんが、

いつか人類が重力に逆らえる物質を発見するのか

ものすごい物理法則を発見するのかして、

いつか空飛ぶ絨毯ができるかもしれない可能性は当然否めません。

 

そうやって科学の新しい発見が、常に世界を変えてきました。

真理は変わりませんが、世界は発見によって変わってきたようです。

 

 

だから科学者は日夜いろいろな研究や実験をして

新しい真実を発見してくれています。

まだ分かっていないいろいろな事を、

実験を重ねて検証し、そして

「どうやら必ずこうなるぞ」

という真理を発見してくのだと思います。

 

当然、真理は人間の感情に左右されることはないでしょう。

だって冒頭に言った通り、この世の真理は既に決まっていて、

後は「発見」するだけなのですから。

 

だから科学者は、感情とは遠いところにいると思っていました。

重要なのは実験結果であり、「起こった事実」のみであると。

自分の望むような結果が出なくても、

それは感情ではなんともならない。

粛々とそれを受け止めなければならないのだ。

 

 

まだ発見のされていない「あるかどうか分からない真理」を求めて

実験や研究を重ねているとき、

その作業の膨大さといったら想像に難くありません。

何度やっても実験がうまくいかない、

立てた仮説通りの数値が出ない、

それこそ途方もない検証作業が繰り返されることでしょう。

 

僕は思うわけです。よくそれができるなと。

 

だって、突き詰めれば必ずあると分かっていればまだ

人間て頑張れるわけじゃないですか。

 

少し規模感は小さくなりますが

筋トレありますね。

辛く苦しい筋トレですが、成し遂げた後

美しい肉体ができて女の子にモテるからやる訳じゃないですか。

腕立て伏せをしたら、腕が太くなるかもしれないし細くなるかもしれないんじゃ

やれないですよね。

そもそもその筋トレですら、その結果を信じ切れず、あるいは待ちきれず

やめてしまう人が大多数いるというのに、

 

科学者なんて、あるかないか分からないものを求めて

延々と続く筋トレをしているようなものじゃないですか。

よくそんなことができるなと。

 

それでふと思ったんですよ。

 

「この世界はこうであるに違いない」信じてるから

ツライ筋トレのような実験の繰り返しに耐えられるんじゃないかと。

 

例えば受注でですね、

「この真理だけど、俺はあると思うから検証しておいて」って人から言われて

「えー、こんなん絶対ないと思う」

って思いながらできないでしょ。多分。

 

そう考えるとですよ、今、僕らを形作っているこの世の中の

数々の真理というのは、

過去に誰かが信じた世界だったと思うんですよ。

その人が信じて発見しなければ、

今もまだ存在しない空飛ぶ絨毯なわけですよ。

 

 

つまりですね、実に不思議なことに、

この世界の真理は既に決まっているはずなのに

この世の中は僕らが信じるようにできあがるという、

この理論を、本日は皆様に提唱させていただきたく存じます。

ただし当然のことながら、信じてもなお敗れることがあることを忘れてはなりません。

 

まるで片思いの恋のようです。

 

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