ドキュメンタリーのような絵よ


タクシードライバーを久しぶりに見ていて思った。
ああ、これはドキュメンタリーなのだと。

おそらく映画が作られたこの時期、ある種のどろっとした塊がニューヨークにはあって、タクシードライバーに密着すればそれが見えてきたのだろう。うまくドキュメンタリーで撮れない部分は、事象を結晶化して、分かりやすい形で「表現」すればいいだけなのだ。

つまり映画は、こういうある職業のドキュメンタリーのような感じでいいのだと思った。

無理やり世界を作る必要もないし、完全に演出の入ったドキュメンタリーと考えることができる。

そう考えると今の映画の絵の作りすぎなこと。
YouTubeにアップされる「すまなさそうな顔をする犬」の方がはるかに魅力的ではないか。

要は映画は、面白い絵を追求するものであって、光学的に美しい絵を追いかけることではない。光学的に美しい方が面白いのなら、そちらを選択する。大概の場合は同じものを撮るなら光学的に美しい「方が」いいので、技術を進展させてきた。

だけど今やこの空前のリアリティブームの中で、犬が転ぶシーンが光学的に美しく撮れている方がつまらなく思う現象が起き始めている

リアリティを追求した方がワクワクする現象が起き始めている。

フェイクがあふれ出している中で、もう一度、フィクションに戻すんだ。タクシードライバーのようなフィクション。ドキュメンタリーである。絵は、あの頃の絵はたいして綺麗でもなかった。カメラも今よりよくはなかったはずだ。
ドキュメンタリーのように撮るのではなく、作りこみすぎることによる画面のつまらなさを捨てるのだ。例えばもっと光は単純でいい。あまりに美しく「作りこみすぎる」ことによる「つまらなさ」に気をつけろということかもしれない。

そのつまらなさに比べれば、一人車中泊の旅に出る「テルさんTV」の方がはるかにクリエイティビティがある。ダサさが良いとかそういうことじゃなく、彼自身が映像に出ている。今まで見たことない、ちょっとひっかかる笑い。

思えば僕らはどれだけ「こうあるべきという美しさ」に囚われていることか。

 

 

 

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