NHK「プロジェクトX」の立ち上げ人に、コテンパンにやられた話。


どうやら自分は師に恵まれるらしい、と最初に気づいたのは

小学校の高学年頃だったように思う。

周りでは友だちが自分の担任の悪口をよく言っていたが、

僕は「そんなに悪い先生かな」と一人思っていた。

毎日の学校生活は楽しかったし、先生が話す雑談などが特に好きだった。

 

就職活動の頃、

僕は奇跡的に日本テレビの最終面接まで進み、

その「最終面接」は夏休みを丸ごと費やして1つの番組を作ることだった。

僕の先生は「欽ちゃんの仮装大賞」を立ち上げた名物ディレクターで

本当に短い期間だったが濃密にバラエティーについて教えてもらった。

その最終試験で落とされた時、その人は僕に

「お前はテレビに向かない

怒りっぽいから共同作業に向かないんだよ

もっと力を発揮できるところに行け」

と言われた。

それで僕は、当時映像の次に興味のあったインターネット業界に進んだのだけど、

この先生が示してくれた未来が、

僕にとってどれだけ大きな人生の正解だったか

今、痛感している。

僕よりも僕を見越して、テレビを諦めさせてくれたのだ。

 

 

インターネットで動画が盛んになり、僕はまた映像制作に戻ってきた。

映像を作る人として独立したばかりの頃、

僕はドキュメンタリー番組を作ることになり

僕がディレクターで、プロデューサーに付いたのが

元NHKで「プロジェクトX」を立ち上げたものすごい人だった。

 

やっぱり僕は人運がめちゃくちゃいいらしい。

 

僕は自己流でドキュメンタリー番組を何本か作っていたので

誰もが認める日本最高峰のドキュメンタリー作家に直接指導されることに

とにかく興奮していて、全部吸収してやろうと鼻息を荒くしていた。

 

まあでもすごい人だった。

僕がその人のことを「〇〇さん」と呼んだら

「君にさん付けで呼ばれるのは不愉快です。CP(チーフプロデューサーの略)か、〇〇先生と呼びなさい」

と言われた。

 

ディレクターの大きな仕事の一つにナレーションの原稿作成がある。

〇〇さんは僕に

「お前は原稿のようなものを書け。どうせ全部直す。」

と言われた。

〇〇さんは僕が書いた30分番組の原稿を、

本当に5文字くらいしか残さず直した。

 

インターネット動画に感化されていた僕は、

カメラから編集から、すべてを一人でやることこそが

絶大な未来だと感じていた。

しかしその先生は、僕からカメラも編集も奪い、

ディレクターに徹させた。

「カメラなんか持ちながら、内容に集中できるわけがない」と。

カメラマンと、編集マンを付けさせられた。

手足をもがれて意気消沈したが、

編集マンという他人と一緒に番組を作ると経験は、これまた得難かった。

 

編集マンは「NHKスペシャル」などを手掛ける敏腕。

60を過ぎたベテランの方で、

まあ毎日こっぴどく叱られた。

撮り方がなってない、意図が分からない、ちゃんと考えてる?

などなど。

その編集マンが、僕のそのプロデューサーをこう言った。

「〇〇さんていうのはNHKの伝説になってるよ

一緒に仕事したことはないけど、それこそ灰皿投げ飛ばすような

とにかくNHKじゃ超有名な人だったらしい」

今回の番組で初めて一緒に仕事をすることになり

編集マン仲間に、〇〇さんについての探りを入れていたらしかった。

毎日僕を叱っていたベテラン編集マンですら、

NHK内に残る数多くの逸話に小刻みに震えていた。

 

その編集マンが初めて〇〇さんと会うことになった日、

向こうからやってきた〇〇さんがその編集マンを見るなり

「久しぶり!」と、初対面なのに言った。

編集マンは、見たこともない苦笑いで話を合わせていた。

 

当時、編集マンと二人でこもっていた編集部屋

 

 

とにかく〇〇さんとは、毎日毎日が罵倒と、突き刺すような嫌味だった。

企画書がつまらんと言われ続けて、やっきになった僕は

だったらセンセーショナルなタイトルをつけてやるよ!と思い、

「ヘドロの海から生まれた最上級の江戸前穴子」

と書いた企画書を送った。

元々環境の悪かった東京湾が劇的な復活をして

今では最上級の穴子が復活したことを1行で分からせたかった。

この時の先生の怒り方は猛烈だった。

「貴様はヘドロと呼ばれて

 海で漁師やってる人がなんて思うかの

 想像力もないのか!!!!!!!!!!!!」

 

わずか数カ月で2番組の短い思い出だ。

期間中、褒められたことは一度もない。

 

 

しかし罵倒の嵐の番組制作が終わったその時だけ、本当にその時だけ、

「がんばったな」

と言ってくれたのをハッキリと覚えている。

 

 

安いドラマのような当たり前の言い方しかできないけれど、

僕は人の発する一言に、こんなにも力があるものかと驚いた。

ズシリと腹の中に響いてくる嬉しさだった。

 

そんな激烈極まりない先生だが、

あの罵倒からは信じられないような美しい言葉を紡ぐ。

一体全体、俺へ罵倒した人はどこへ消えたのかと思うわけである。

これが本当に同じ口から発せられた言葉なのだろうか。

そう言えば、数回だけ取材先に同行してもらったが、

その時、僕には絶対に見せない人懐こい笑顔で

取材対象から話を聞き出していた姿を思い出す。

僕は何回もこの上の言葉に救われてきた。

そう、この言葉を作ったあなたに

コテンパにやられていたあの真っ最中にね!

 

 

もう僕を叱ってくれる人と何年も出会ってない。

そういう歳でもなくなってきたのかもしれないなと、思う。

 

数年も経ってから初めて、

恩師が生きた人生はどんなものだったのだろうと、

やっと想像を巡らせるようになった。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です