六本木の神様


Budha

まだサラリーマンをしていた頃、六本木に通っていました。

当時の僕は慢性的なストレスを抱えておりまして、毎日のように怒りっぽい自分への嫌悪感に苛まれていました。自分て嫌な奴だなと思っていました。

いつだったか、それこそ救いを求めるように僕は仏教に興味を持つようになりました。最初に興味を持ったのはニコニコ動画に上がっていた「般若心経のロック」だったように思います。その現代語訳の中にあった「心配すんな」というシンプルな言葉にとても惹かれて、いくつかの般若心経や仏教の本を読むようになりました。手塚治虫の「ブッダ」も全巻揃えました。

僕は次第に仏教の奥深さに惹かれるようになりました。それが当初の目的である「嫌いな自分」の克服に役に立ったかどうかは分かりません。でも少なくとも、考え方は変わってきたように思いました。

 

朝の9時40分頃、僕は乃木坂から会社に向かって歩いていました。好みの曲がiPhoneから流れてきていて、良い朝だったように思います。

その通勤路にオレンジ色の袈裟を着たブッディストが立っていました。

僕は目を疑いました。

こんな感じの人が通勤路に立っているのです。
Pop out monk

国籍は不明、日本ではありません。

男性。

そして……… そのブッディストは僕を見つめていました。

まだその距離は10mくらいあります。

僕は、奇跡に近いものを感じてしまいました。

正に今、仏教に救いを求めて傾倒し始めているこの俺を、

六本木のど真ん中でブッディストが見つめているのです。

僕はかなり冷静かつ客観的に物事を捉えることができる、どちらかと言えばクレバーな人間です。

その僕が現実をうまく整理できないままブッディストに近づいて行きます。

周りには出勤中の人間がたくさんいましたが、皆、僕と同じ六本木方面を向いて足早に歩いています。

そのブッディストだけが、オレンジ色の袈裟を着て、真逆の方向を向き、僕を見つめているのです。

僕の耳のイヤホンからは心地よい音楽が流れ
やがて風景はスローモーションのようになりました。

ブッディストは表情を崩し、それこそ「仏」のような笑みを浮かべて、僕に向かって手を差し出してきました。

 

 

その手には、小さな神様を持っていました。

 

 

「仏だ……」

 

僕は疑いませんでした。

六本木に神がいる……(仏でもよい)。

僕は手を差し伸べようとした瞬間、躊躇いました。

 

こんなに人通りの多い中で、見ず知らずのオレンジ色の袈裟から神様を受け取るのが恥ずかしかったのです。

でも受け取りたい!

でも恥ずかしい!

歩いている僕には充分な時間がありませんでした。

結局、表情も変えずに素通りしました。

 

振り返りもしなかったので、ブッディストがどんな顔をしていたのかも分かりません。

ひょっとしたらこの奇跡の出会いを無にした僕を憐れんでいたかもしれません。

 

僕は一日中後悔しました。

結局、俺という人間はこういう人間なのだ。

人の目を気にし、恥を気にし、

こんな奇跡的な出来事を無にしてしまう

何冊、仏教本を読もうが、根本的に駄目なのだ。

こういう人間なのだ。

激しい自己嫌悪に陥りました。

もらっておけばよかった。

こんな奇跡、もう二度と来ない。

 

翌日、ブッディストが同じ場所に立っていました。

なんという奇跡!!!

僕はその時、本当に奇跡というものがあるのだと感じました。

昨日の僕の自己嫌悪を神様は見ていたのです。

そして僕に最後の、間違いなく最後のチャンスをくれたのです。

 

周りには昨日と同様、人が沢山いました。

でも僕には全く躊躇いはありませんでした。

ブッディストは昨日と同じ笑顔を作り私に近づいてきました。

イヤホンを耳から外し、私も顔を崩し、満面の笑みを浮かべました。

手にはやはり小さな神様がいらっしゃいました。

 

まだ何も会話をしていませんでしたが、

僕はもうその神様を受け取ることが大自然の決まりかのように手を差し出しました。

ブッディストは仏のような笑顔でそれを僕に手渡しながら言いました。

「ゴヒャクエーン」

 

1年くらい経ってからでしょうか、ニュースが目に入りました。

> http://togetter.com/li/371986

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