大学の頃、友人とバリ島に行った時の話。
バリは棚田の美しさで世界的に有名で、僕らもその景色を見に行った。
巨大な段々は人が作ったものと思えないほど、美しい造形だった。
そこへものすごく良い感じの農民が現れ、こちらを向いてにこやかな笑顔を見せた。
ちょうどこんな感じのザ・農民だった。肩に何か担いでいた。
広い空と輝く稲穂がその笑顔を作るのだろうか、
「やはり田舎は良いな」と思いながら、風景と溶け合って完璧な被写体になったそのおっさんの写真を撮った。
パシャリ。
その瞬間、その農民は私たちの方に手を差し出した。
マネーを要求しているのだ。
「うわ!出た!」と。
こんな素晴らしい田舎にも観光という名の腐海の毒が回って来てしまっている。
もうこの地球上に素朴な田舎は残ってやしないのか。
若かりし僕は、ひどくガッカリした記憶がある。
いーじゃねーか、写真くらい。
僕らは、その農民を「どクソ農民」と名付け
お金を要求するポーズが、その後しばらく仲間内で流行ったりした。
あれから20年近く経った。
先日、僕はインドネシアのジャワ島、マラサリ村というところで、バリに負けない巨大で美しい棚田に出会った。
首都ジャカルタから車で6、7時間ほどだろうか。
冗談みたいに車が揺れる悪路で山をひたすら登り続けると、原生林ジャングルの入り口に位置する最果ての村、マラサリに到着する。
僕が大学時代に見たバリの棚田は上から見るだけだが、ここマラサリは棚田の中にグングンと入っていける。
棚田のすぐ近くまで行って稲刈りを見ることができる。
まさに風の谷のようなこの棚田には、村人が作った風車があちこちで、谷風を受けて回っている。
鳥よけに巡らされた紐は、水車の動力で動き、コロンカランと、これもまた自然の音を立てる。
石畳を登っていくと、ちょうど谷の中腹ほどに小さな小屋があり、見慣れない訪問者を覗きこむ子供が現れる。
農家の休憩所だ。
誰にカメラを向けても恥ずかしそうな可愛らしい笑顔を返してくる。
子供の代からおばあちゃんの代まで、はたまた飼い犬までが、この谷にできた棚田の風景に溶け込み、この場所で生活していた。
とても美しい時間が流れていた。
田んぼの中を駆け抜けるいっぬ。
おばあちゃんが作業する横で、子供があぜ道で遊ぶ。段々畑は近くに行くと、一段何メートルもする。その細いあぜ道はめっちゃ危険そうに見えるが、子供の行動をいちいち見ている大人はいない。
おばあちゃんが稲刈りする横を、子供が遊ぶ。
細いあぜ道も我が物顔で走りまくる子供。落ちたりしないんだろうか。
今、マラサリは観光に力を入れ始めている。
この棚田の景色を始め、テナガザルも姿を見せる原生林のジャングル、手付かずの自然が、少しずつ人々に知られ始めたからだ。
僕はこの村の純朴な人々がすぐに好きになり、
是非応援したいと思ったし、実際この風景はお客さんを呼び込めるだけの価値があるとも思った。
棚田の真ん中で柔らかい風を受けながら、ふと思った。
観光が成功して、一日100人も来るようになったら、棚田の中に果たして入れてもらえるだろうか。
細く崩れやすいあぜ道から落ちて怪我人が出たら、上から見るだけにしましょう、となるだろうか。
観光客が来るようになったら、あの小屋で100円くらいのお茶を出すようになるだろうか。
100円のお茶を可愛らしい女の子から出されたら、観光客はきっと喜んで飲むだろう。
農家にとっては100円でも大金だ。
それで彼女たちが好きなお菓子を買えるようになったら、それはとても嬉しいことだ。
風景は少しずつ変わっていくだろうか。
僕が見ているこの景色は、ひょっとしてものすごく贅沢なものなんじゃないか。
一日中、炎天下で立ち続けて稲刈りをしても、ここの人たちの収入は、千円にも満たないだろう。
観光でお金が入れば、生活は驚異的に楽になるだろう。
村では数人の若者が観光専門の部隊を作り、日夜、村をより豊かにする方法を考えている。
今でも、たまに観光客が棚田を見に来るらしい。
旅行代理店が見晴らしの良い高台に連れてきて皆がその美しさにため息をつく。
そして次の場所へ移動していく。
風景はタダだ。
あのどクソ農民は、きっとおじいちゃんのさらに上の代から、丹念に稲を植えてきたのだろう。世界から何百万人という観光客がバリの棚田を、おじいちゃんたちが作ってきた棚田を見にやってきて、
見晴らしの良い展望台のカフェでは、一杯が農民の日給くらいするコーヒーを出している。
僕は20年経って、どクソ農民が、あの日俺たちに金を要求した気持ちがほんの少しだけ分かったような気がした。
そして僕は、この村は有名になってほしいと思いながら、この美しい風景が残って欲しいと、実に複雑な気持ちになった。